ところ変わっても、同じ感覚、ちょっと不思議

water under the bridge

最近、気に入っているアメリカのテレビドラマがあり、見るときはいつも英語と日本語の字幕を両方表示して、英語の勉強をしてる振りを装っています。誰かに言い訳しているわけではなく、いってみれば、自分に対する言い訳ですね。

 

そして、そのドラマのなかで、主人公の女性のセリフに、water under the bridge というフレーズが、2度ほど登場しました。

 

最初は元カレを表現するとき、そして2度目は過去の事柄を指して、語っていました。このフレーズを聞いたとき、一番最初に浮かんだのは、鴨長明の「方丈記」の冒頭の一節でした。

 

そう、「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、 またかくの如し」というところです。

 

トコロ変われば品変わると言いますが、ところ変わっても、流れていく川は、人々に同じ感覚をもたらすのだと、ちょっと不思議に思いました。けっこう、探してみると、こんなパターンはたくさんあるのかもしれませんね。

 

こんな発見をすると、旧約聖書のバベルの塔の逸話を、ちょっと信じてみたくなります。

 

そうそう、それと、もう1つ驚いたのは、若い頃覚えたことは、年月が経っても忘れないものですねえ。方丈記、平家物語、源氏物語、土佐日記など、今でも暗唱できてしまいます。詰め込み教育は良くないと言われましたが、詰め込まれた側としては、柔らかいうちに詰め込んでいただいといて、よかったとつくづく感じています。最近は、本当に物覚えが悪くて、愕然としてしまいますからね。

 

本当に、「少年老い易く、学成り難し」です。先人たちはのことわざは、身につまされますね。

 

 

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